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川 崎 駅 周 辺 視 察 会 報 告  その1 その3
変 貌 す る 川 崎 駅 周 辺 を 再 発 見 
140万都市の玄関を、市民の目と足でチェック その2
 2010年10月3日(土)午後1時半から午後6時まで、当会ではかわさきTMOマネジャー笹原克氏をナビゲーターに迎え、川崎駅周辺駅視察会を開催。
 その報告書を一冊の冊子25頁にまとめ、かわさき市民活動センターや市内の図書館などに配布した。(PDF版参照)
 これはそのホームページ版である。

 (写真:音楽で楽しく歩ける街にかわさきバスカー :銀座商店街
      歌い手は「つだみさこ」さん)

尚、写真については、
「お世話になっております。写真、確認いたしました。問題ありませんので大丈夫です。今後ともよろしくお願いいたします。
                      株式会社ファンタジスタ」
と了解をいただいた。
☆ チェックポイントのまとめ その2

川崎駅周辺を10ヶ所に分け、それぞれの地区をチェックして評価した。

◎とても良い ○良い △ちょっと気になる × 問題あり (複数回答有)
地図製作: 井坂
E ラ・チッタデッラ 

■ 4年連続、日本一の映画街

テキスト ボックス:  
チネチッタのクリスマス・イルミネーション

「映画の街かわさき」の火付け役的存在の「ラ・チッタデッラ」。

平成18年の年間観客動員数174万人、興行収入約22億円を記録し、現在は日本一の座を明け渡したものの、平成15年から4年連続で観客動員数・興行収入共に全国一位を誇った。シネコンが入る「チネチッタ」はイタリア語の造語で「映画の街」を意味するように、全体的にイタリアをイメージして造られ、石畳に使われている石も実際にイタリアから取り寄せた。


 更に、全国的にも有名となった、ハロウィーンパレード、インディーズからメジャーまで歌う「クラブチッタ」、沖縄やアジアンフェスタ、地場産農産物を扱う露店、今冬はスケートリンクまで登場するなど、常に話題が尽きない。

 

                    
                         (野 口)

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毎週日曜日開催のラチッタデッラ・マルシェ青空市場

歩いて楽しいまちづくりとしては大成功だ。
◎街の活性・再生の格好例だ。トップの肝がすわっているのは富山市の森市長と同じ。 街の活性・再生の格好例だ。トップの肝がすわっているのは富山市の森市長と同じ。
○人通りが多く、音楽も良い。元気があり、チッタデッラと駅とをつなぐ工夫が必要だ。若者が多い。
○ 「女性には不評」というが、イタリア職人作成の本場の歩道は、味があっていい。ゆっくり歩く道も欲しい。○ 祭日にはチネチッタの噴水広場でのコンサートや、出店がある。
○ 演奏に聞き入ってしまった。
○ 地場野菜販売等の人寄せイベントが良い。
○ イベント用エリアに、電気コンセントが準備されている。
△ 歩道石畳がやはり歩きづらい。           
■ かわさきTMO ― 音楽で楽しく 歩ける街に ―

テキスト ボックス:  
自由の中にも気を使う「かわさきバスカー」:(川崎銀座商店街)

「音楽を守ろうとする人がいるから、安心して路上で歌える。でも音響は迷惑にならないよう気を使う」とプロを目指す続城(つづき)健太郎さん(32)。「かわさきバスカー」の認定を受け、平成221127日、川崎銀座商店街で初演奏した。
 「バスカー」はロンドン地下鉄生まれの路上芸術表現者のこと。その存在と生の音楽を通行人に届けることで、街の雰囲気が良くなり、犯罪が減少したという。この文化の仕組みをつくろうと、川崎駅周辺の商業者を中心にする「かわさきTMO(タウンマネージメント機関)」が始めた。合法的に歌える場を6ヶ所確保し、バスカーの運営規約とルールを作った。家族連れからお年寄りまで誰もが、楽しく気楽に歩いて移動できる街にする取り組みの一環だ。
 中でも川崎銀座商店街での演奏は244回(1231日現在)を数え、約30人が交代でほぼ休日に行っている。音響機材は商店街が購入。同商店街の理事長で、寝具店3代目店主の小林一三さん(46)は「商売にはならないけれど、これで川崎も銀座街も盛り上がれば、やりがいになる」と語る。

■ TMO― “人が歩く事が一番大事”という思想から誕生

 
「TMOはヨーロッパの先進的なまちづくりの考えから生まれた。ヨーロッパでは、街の中心部が空洞化してしまった。特に石で出来た街だから、車社会になって、駐車場もなく、車に溢れてしまった。やがて、人が来なくなりお店もだめになった。このままでは都市が本当に崩壊する。そこで、彼らは何を考えたかというと、車を排除し、“人が歩くことが一番大事”という思想を持ち込んだ。歩くために何が必要か、彼らは必死に考えた。その時に、Town Managementという概念を発明した」とかわさきTMOのマネージャー・笹原 克さんは解説する。

「法律で規制するのだけではなく、Town・街をManagement・経営しなければならない。そのためにはそういう組織・機関や人材やお金が必要だ。その手法は“人を歩かせる”マネージメントだ。これはとってもいいことで、成功した。車を入れないために代わりの交通をどうするかということで、LRT(路面電車をベースとしたこのようなシステムの総称)が出てきた」

 (このLRTこそ、当会の誕生のきっかけとなるものだ。当会の代表野口浩史はこの新しい交通システムを川崎に導入する研究会の制作企画スタッフであった)

 日本においてもこの考えから、都市機能の増進、地域経済の発展には、中心市街地の活性化を図ることが重要であり、そのためには地域が主体となった街づくりの推進体制が必要だ、という考えから生まれた。
やがて、平成106月、「中心市街地活性化法」が通称「街づくり3法」の中核となる法律として公布された。その結果、TMOが誕生。法律はTMOになれる者を、その市町村で人的・財政的にTMO構想を推進できる組織として商工会、商工会議所、第3セクターのいずれかとしている。平成23年度から「かわさきTMO」は財団法人川崎市産業振興財団から川崎商工会議所が担当することになる。    (高 橋)

F 新 川 通 り

■ 排水路だった新川通り

新川通りは新川堀だった。慶安3年(1650)、川崎の水田耕地のために作られた排水路が新川崎堀。川崎が工業地帯として発展した明治末期から大正期には、その土手道が工場地帯と川崎駅を結ぶ輸送路として栄えた。

昭和68年(193133)に暗渠(あんきょ)化され、新川通りとなった。 

        

○ 放置自転車を追放するように。
× 自転車問題あり。歩道の半分を占めて歩けない。
× 歩道に有料駐輪場が無造作にあるのは、おかしい。
× 川崎の顔として汚い。
× 地下駐車場を駐輪場にするなど、思い切った対策が必要だ。
× 自転車・路上看板が気になる。自転車走行レーンにした後がどうなるのか非常に心配だ。
× 自転車対策が急務。
× パチンコ屋など自転車の多さに驚く。
■ 社会実験結果、バス優先・自転車専用レーンともに実現に至らず!
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新川通りの社会実験は何のためだったのか?
                                      平成21107日から20日の間、川崎駅東口で自転車やバスレーンの社会実験が行われた。

 新川通りの歩道上の有料駐輪場を東田公園(427台)などに移動して、車道に自転車専用レーンを設けた。アンケートの結果、自転車利用者の約7割、歩行者の約8割が自転車レーンは「必要」「どちらかと言えば必要」と回答。通勤・通学用と買い物などの一時利用の駐輪場の増設が要望された。

 市は1時間に300台のバスが走っている現状を主な利用として、車道への自転車レーンを断念した。         (高 橋)                                                                                                   
G旧 東 海 道(砂子通り
■ 東海道 川崎宿2023いきいき作戦


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シャッターに描かれた東海道浮世絵図、その訳とは?


 東海道の川崎宿場は戦災などで古い建物は焼失し、宿場の面影はほとんどない。東海道の江戸から二番目の宿場で、元和9年(1623)年に東海道53次の中で最も遅い時期に宿駅に加えられた。2023年で400年目を迎える。
 天保14年(1943)の「東海道宿村大概帳」によれば、街並みは南北1312間(約1,500m)で、家数541軒、旅籠屋は72軒を数え、人口は2,433人(男1,080人、女1,353人)だった。慶応6年(1601)から幕府領となった。

 現在、「東海道川崎宿2023いきいき作戦」と銘打って、市民約50名が川崎宿の歴史や文化を生かしたまちづくりをしている。

 シャッターに歌川広重の東海道五十三次浮世絵を描くのもその活動の一つ。   

               (高  橋)
○ 旧東海道に狭いながらも、案内看板を出したり、シャッターに浮世絵を描いたりしている。これらの取り組みは評価できる。
○ 比較的広い範囲で電柱が地中化されている。
  旧東海道らしさが作られている。
  旧東海道を思わせるしかけが欲しい。歩いて楽しい道づくりが必要だ。
   街路のイメージと店舗がミスマッチだ。都市計画の縛りをかけないと、こうなる典型例だ。中途半端な感が否めない。
× 狭い歩道のはみ出し看板が気になる。
× 一般商店前も放置自転車が多い。
■ 小土呂橋(こどろばし)の由来
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今も残る川崎宿場町の遺跡:小土呂橋の石橋

                                            


 

 現在、新川堀(現在の新川通り)と旧東海道(現在の砂子通り)が交わる交差点は、小土呂橋だ。

 その地点に小土呂橋という石橋があった。その親柱が今も交差点に保存されている=写真。このバス停の名前にも使われている「小土呂」は、久根崎町・新宿町・砂子町・小土呂町の川崎宿場4町のひとつだった。
 
     
■ 象が渡った橋

 駅前大通りの「新川通り」いう名は、ここを流れていた用水「新川堀」に由来する。江戸時代はじめ、川崎宿ができてしばらく経った慶安3(1650)年に開削され、昭和初期まで流れていた。
 川崎宿は砂地に盛り土して造られたので、多摩川の氾濫でしばしば東海道が冠水した。新川堀は、用水と排水路として設けられ、大島村の水門を経て海を注いでいた。
 その新川崎と東海道が交わる現・小土呂橋交差点あたりに架けられていたのが「小土呂橋交差点」である。「こどろ」または「ことろ」とも読まれた。
 川崎宿を構成する四つの町のひとつ「小土呂町」(現・小川町)から名づけられ、はじめは木の橋であったのが、享保11(1726)年に、田中休愚が石橋に架けかえた。
 前号で紹介したように、川崎宿トップ三役を兼任し、川崎繁栄の礎を築いて、将軍吉宗のもと「享保の改革」を担う一人となった休愚である。
 石橋架橋は「さすが休愚」と思える先見の明であった。その2年後、将軍吉宗へ献上するため、はるばるベトナムから象がやってきたのだ。東海道を旅ゆく象を、小土呂橋はみごとに支えた。
 現在、小土呂橋交差点の歩道(小川町側=上写真=)に転じされている小土呂橋の親柱(擬宝珠)は、昭和6年に新川堀が埋め立てられたとき残されたもので、ガイドパネルに掲げられている昭和初期の写真は、江戸時代の新川堀と小土呂橋を思わせる風景、像が通った日の歓声が聴こえてきそうだ。
                               『多摩人 2011年冬号』」より
■ 歌川広重の東海道53次、川崎(六郷渡し船)
品川宿と川崎宿の間には、江戸近郊で有数の大河である六郷川(現在の多摩川)が横たわっていた。六郷川は慶長5年 (1600年) に徳川家康によって六郷橋がかけられたが、度重なる洪水で補修やかけ直しが行われた。しかし、元禄元年 (1688) の大洪水で橋が流出して以来、ここには橋は架けられず渡しが置かれることになった。常水時で69間(約124m)あったという。
 かつての渡し場は、現在の国道15号線が通る六郷橋の架かる吹きにあり、渡し場を超えるとすぐに川崎宿だった。川向こうに見えるのは川崎宿。
 多摩川は、かつて昭和20年頃までは川辺に川魚料理の料亭がありアユの川として知られていた。それが1970年初め、洗剤の泡が飛びほど汚染されてしまった。
 しかし、住民や行政の協力や、下水道が整備されるようになって、推定100万匹のアユが遡上するようになっている。 
☆平成22年8月23日(月) 国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所記者発表資料
多摩川のアユ、今年は調査開始以来過去最高を記録! 〜今年は約196万尾ものアユが遡上しました〜発(PDF
H 本町仮設自転車等駐車場                                
テキスト ボックス:  
なぜ休日は閉鎖? 本町仮設自転車等駐車場
                       △ 土日曜日はシルバー人材を管理人として活用し、開放してはどうか。
× 全然だめ。駅から遠い。入口が悪い。案内はひどい。
× 案内看板とは裏腹に、休日はク  ローズしているのは不思議とさえ思う。
× 案内、距離、台数、利用可能日、時間、場所、全てにおいて良い所のない駐輪場だ。
■ 京急・JR川崎駅周辺・川崎駅北口跡



 JR川崎駅東西自由通路の混雑緩和や駅周辺の回遊性向上をめざし、東京寄りに新たな北口自由通路の整備と改札口設置が平成
221月ようやく決まった。完成は平成28年予定になる

 かつて使用されていた場所に再生されるものであるが、費用負担をめぐりJRと市の間の調整が手間取り計画が大幅に遅れていた。完成すれば、京急川崎駅との乗り換えの利便性が大幅に向上する。両駅の間には「川崎商工会議所会館」があるが、こちらは平成243月の完成をめざし現在建て替え中である。                       
                 (小田部)
I京急・JR川崎駅周辺・川崎駅北口跡

◎ 銀座街のバスカーはとても良く、楽しい。「かわさきTMO 音楽で楽しく、歩ける街に」参照)

○ 川崎銀座街のバスカーはきちんとスケジュールが出来ていて良い。もっと宣伝をすべきだ。
△ 旧川崎駅北口に新たな通路ができることは、すばらしい。
△ 京浜急行線沿にもっと駐輪場を造ることができるのではないか。
× 京急川崎駅前の放置自転車は何とかならないか。
× 京急川崎駅の歩道上の放置自転車が問題だ。障害物が多く、車イス・ベビーカーは通れない。
× JR川崎駅北口を再開して京急とペデストリアンデッキなどで繋げて欲しい。コストをかければ、地下通路でJRと京急駅をつないで、その間に地下店舗を移設するという案もある。
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